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モテる理由は顔じゃない。

モテる理由は顔じゃない。古今東西「イケメン」と呼ばれた男性たちの変遷

「顔が整っている」「清潔感がある」「スポーツマン」など、イケメンの定義は人それぞれ。時代をさかのぼってみると、文芸センスの光る人がモテたり、色白で繊細に見える人がモテたりと定義はさまざまですが確かにイケメンといわれた人たちが存在したようです。

そこで今回は、平安時代から昭和初期にかけて活躍した「日本イケメン史」を紹介していきます。時代によっては教養のある人や知的な人が好まれたり、必ずしも見た目だけではなかったみたいですよ。
歴史好きの方もそうでない方も、そうそうたるイケメン偉人たちの美しさを堪能してみてはいかがでしょうか。

風流人がモテた?平安時代のイケメン

平安時代は「和歌」が得意な風流人がもてはやされる風潮にありました。

和歌とは、現代でも百人一首などで親しまれている短歌形式の古典詩。万葉の時代から天皇の遊宴や典儀の際に詠まれたり、歌合(うたあわせ)で歌の優劣を競うなど、文芸のひとつとして確立していきました。

当時、日本で恋をするには、この和歌を詠むセンスが必要不可欠。いまのように男女が気軽に出会える時代ではなく、まずは男性から女性へ恋文を送ることが第一関門。

女性は送られた和歌から相手のセンスや知性を判断するため、どんなに男性の容姿が美しかろうが、和歌にセンスを感じられなければ会うことすらできなかったのだとか。

しかし、そんな恋愛が難しかったこの平安時代に、なんと3,733人もの女性と関係を持った色男が存在しました。

在原業平(825年〜880年)

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多くの女性と関係を持ったとされているのが、在原業平(ありわらの なりひら)です。平安時代の貴族であり歌人で、平安時代中期の歌物語『伊勢物語』のモデルになった人物としても有名です。

日本の平安時代に編さんされた歴史書日本三代実録』には、業平の人物像について「体貌閑麗、放縦不拘、 略無才学、善作倭歌」と記載があります。

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つまり「容姿端麗で自由奔放、漢字には疎いが和歌に優れている」ということ。勉強はそこそこでしたが、女性をくどく才能に長けていたそうです。

この時代は写真がないのが残念ですが、一度でいいからその美顔を拝んでみたかったですね。

戦国の世は「色白」がモテた?室町時代〜戦国時代のイケメン

室町時代〜戦国時代のイケメンの基準は、色白で繊細な男性だったとか。目鼻立ちがくっきりした細面の、いまでいう草食系男子のような雰囲気でしょうか。そんな室町時代にイケメンと評判だったのが、足利義尚(あしかが よしなお)です。

足利義尚(1465年-1489年)

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こちらも写真がないのでどれほどのイケメンなのかがわからないのが残念ですが、美しく艶のある緑がかった黒髪から「緑髪将軍」のあだ名で呼ばれていました。

父親の義政氏も40人以上の側室を作るほどの色男であることから、相当のモテ遺伝子を引き継いでいたことでしょう。

和歌が得意な文化人という一面もあり、「新百人一首」の選者も務めています。イケメンな上にインテリ系の将軍とは、恵まれた才能をもっていたのですね。続いては、時代は流れ安土桃山〜戦国時代のイケメンを見ていきましょう。

トーク力が求められた?安土桃山・戦国時代のイケメン

色白・優男モテブームはまだ続きます。現代では優男と書いて「やさお」と読まれることが多いですが、当時は「やさおとこ」と読まれ、心根のやさしい男性・上品で雅やかな男性などの意味で使われていました。

性格が優しいだけでなく、その佇まいや雰囲気も含めて評価されていたということですね。

1589(天正17)年になると「遊郭」ができはじめ、女性と会える機会も増えてきました。恋愛面でも和歌を越えたトーク力も必要になり、話し上手で芸達者なタイプがモテはじめたみたいです。

山中幸盛(1545年-1578年)

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山中幸盛(やまなか ゆきもり)、別名・山中鹿介の名で知られている、戦国時代から安土桃山時代に活躍した武将です。

美男子としても知られており、「色白く、容貌がすぐれた男」と『雲陽軍実記』に記されているほど。三日月にむかって「我に七難八苦を与えたまえ」と祈った逸話でも知られています。

直江兼続(1560年-1619年)

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直江兼続(なおえ かねつぐ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけて活躍した武将。
兼続は戦国時代の武将にまつわるエピソード集『常山紀談』のなかで、「背が高くて、容姿は並ぶ者がいないほどで、弁舌さわやかで大胆な人」と書かれています。背が高い上にトークも切れる、さらにその美形…と天は彼に三物を与えたようです。

しかも、兼続は生涯にわたって側室をもうけず、正室お船の方(おせんのかた)ただひとりを愛し続けました。見た目だけでなく、中身もイケメンなんてすごすぎやしませんか。

井伊直政(1554年-1613年)

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若くして徳川四天王にまで登りつめたエリート武士、井伊直政(いい なおまさ)のイケメンぶりもかなりのもの。

直政は、いくつもの書物に「容顔美麗にして、心優にやさしき」と記録が残るほどの美少年。

幼いうちから家康の諸々の雑用を請け負う小姓として深く寵愛され、一説によるとそれまで男色にまったく興味がなかった家康がメロメロになってしまうほどの美しさだったとか。

宇喜多秀家(1572年-1655年)

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安土桃山時代に活躍した武将、宇喜多秀家(うきた ひでいえ)はとても温厚で、幼いころから利発な子どもだったとか。豊臣秀吉の政権下でわずか26歳のときに五大老に就任するなど、まさに出世街道を駆け上がります。

しかし関ヶ原の戦いで敗れ、流人として八丈島へ配流に。その後、八丈島で暮らしたそうで、現地にある宇喜多秀家の墓は東京都指定文化財に指定されています。

女性の好みも多様化し始める。江戸時代〜幕末のイケメン

江戸時代に入っても色白・優男はモテの必須条件。一方で、「お金持ち」だったり「男らしさ」や「清潔感」を兼ね備えた男性もモテはじめ、女性の好みのタイプも多様化してきました。

土方歳三(1835年-1869年)

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幕末きってのイケメンといえば、新選組土方歳三(ひじかた としぞう)でしょう。

数多くのドラマやアニメでイケメンキャラとして描かれていますが、写真で見ても本当にかっこいいですね!当時は「鬼の副長」として恐れられながらも、その男前なルックスや生き様に女性からはモテモテだったとか。

池田長発(1837年-1879年)

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池田長発(いけだ ながおき)は、江戸時代後期から明治時代にかけて活躍した旗本です。幕末には外国奉行を務め、1863〜1864年の1年の間、遣欧使節団を率いてフランスを訪問。

帰国後に開国論を唱えるなど、インターナショナルなかただったのかもしれませんね。

島津珍彦(1844年-1910年)

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薩摩藩主の一門でありながら、貴族院議員も務めた島津珍彦(しまづ うずひこ)。大きな瞳にスッと上がった眉は現代にも通じるイケメンですね。

渋沢平九郎(1847年-1868年)

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振武軍の参謀として飯能戦争に参戦し、22歳の若さで自刃した渋沢平九郎(しぶさわ へいくろう)。

現代の俳優さながらの凛とした佇まいがかっこよすぎますね。男性の平均身長が155cmといわれていた時代に、平九郎は約180cmの8頭身。日本人離れした見事なスタイルに惚れ惚れしてしまいます。

しかも剣術は人に教えられるほどの腕前で和歌も詠んでいたそう。

江川英敏(1839年-1863年

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江川英敏(えがわ ひでとし)は幕末の旗本で第37代江川家当主を務めました。静岡県伊豆の国市にあるユネスコ世界遺産韮山(にらやま)反射炉」を築造したことでも知られています。

当時はめずらしい留学経験者も多数。明治時代のイケメン

江戸時代〜幕末に続き、明治時代でも活躍していた人たちをご紹介していきます。明治時代に入ると当時は珍しい海外留学を経験したイケメンたちがたくさんいました。グローバル社会のパイオニアだったのかもしれませんね。

山岡鉄舟(1836年-1888年

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幕末から明治時代に活躍した幕臣であり政治家でもある、山岡鉄舟(やまおか てっしゅう)。「一刀正伝無刀流」いわゆる無刀流を開祖した人物としても知られています。

当時の人とは並外れた体格をしており、身長は約188cm、体重は約105kgと大変大柄な体格だったそう。

吉田清成(1845年-1891年)

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幕末の薩摩藩士で明治時代初期には官僚を務めた吉田清成(よしだ きよなり)。イギリスやアメリカへの留学経験を持ち、外交官として活躍します。まさにグローバルに活躍イケメンだったのですね。

奥平昌邁(1855年-1884年

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豊前中津藩の最後(第9代)の藩主、奥平昌邁(おくだいら まさゆき)も美男子として知られています。伊予宇和島藩主である伊達宗城の四男として生まれ、豊前中津藩第8代目藩主である奥平昌服の養子に。

その後、廃藩置県後は伯爵の称号を受け、アメリカへ留学を経験。若くして亡くなってしまいますが、写真を見るだけで美男子とわかる佇まいですね。

南方熊楠(1867年-1941年)

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日本の偉大な博物学者、南方熊楠(みなかた くまぐす)もとても整った顔の持ち主です。熊楠は顔がいいだけでなく、なんと19カ国の言語を話せるマルチリンガル

東京大学の予備門へ入学し、19歳で渡米してミシガン州農業学校に入学しました。しかし天才ゆえに性格も少々変わり者だったよう。

猫好きとしても有名で、のちの奥さんと会う口実として、汚れた猫を連れて行ってはその度洗ってもらっていたのだとか。

現代でも語り継がれる大正・昭和時代のイケメン

大正時代以降は、現代でもモテそうな顔立ちのイケメンが多くなります。幕末より活躍している武士や詩人まで、さまざまなイメケンが登場。

萩原朔太郎1886年-1942年)

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萩原朔太郎(はぎわら さくたろう)は、大正時代に近代詩の新しい地平を拓き、「日本近代詩の父」と称されるほどの偉大な詩人。大きくて澄んだ瞳が印象的。こんな眼差しを向けられたら、うっかり惚れてしまいそうです。

幼少期より神経質かつ病弱で孤独を好む性格でしたが、医者の息子でハイカラな服装をしていたことと、その端正なルックスから「プリンス」というあだ名で呼ばれていたのだそう。

高田稔(1899年-1977年)

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大正・昭和期の俳優でありながら、映画プロデューサーも務めた高田稔(たかだ みのる)。無声映画新興キネマなどで活躍した二枚目スターです。彫りが深く、顔の造形も日本人離れした美しさですね。

中原中也(1907年-1937年)

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詩人である中原中也(なかはら ちゅうや)はかわいい系のイケメンです。「サーカス」という詩のなかで、ブランコが揺れる様子を「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」という擬態語で表現していましたが、こんなイケメンが読んでいると思うとさらにかわいく感じてきます。

東郷平八郎(1848年-1934年)

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最後にご紹介するのは、東郷平八郎(とうごう へいはちろう)です。東郷平八郎といえば必ずといっていいほど歴史の教科書でも出会う人物ですよね。日本の幕末から昭和初期にかけて活躍した武士で、日清戦争日露戦争を経験し、最終階級は元帥海軍大将として名を残しました。

明治時代には海軍士官としてイギリス留学を経験し、そのときの姿がとても美男子に写っています。

平安時代から昭和までをダイジェストで紹介しましたが、自分好みのイケメンは見つかりましたか?すべてのイケメンを紹介しきれませんでしたが、日本には見た目だけでなくまだまだ魅力ある男性が大勢います。

もしかしたら、いま推しているイケメンたちも後世に語り継がれる偉人になるかもしれません。その日のために、リアルタイムで推せる喜びを噛みしめて応援していきたいですね。